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日本百街道

[あ行(お)]

おおい町(福井県)Web
写真 周山街道しゅうざんかいどう
名田庄地区には若狭と京を結ぶルートのひとつ周山街道が通り、魚介類や塩がこの道を通り運ばれていた。
室町中期から戦国期にかけて、将軍家の縁戚だった武田家の領国若狭に都から多くの公家が下向したことが知られるが、中でも、陰陽師の安倍晴明の直系子孫である土御門家は、応仁の乱を避けこの地に移り数代にわたり居住した。京と同名の社寺が残り、かつての屋敷跡一帯には小京都の風情が残る。

大田市(島根県)Web
写真 石見銀山街道いわみぎんざんかいどう温泉津沖泊道ゆのつおきどまりどう
世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産で、銀山と日本海に面する港を結ぶ全長12㎞と港及び港町、それに続く温泉町を含んでおり、街道の大半は国史跡となっている。
16世紀〜17世紀をピークとして、国内のみならず海外にも影響を与えた石見銀山の鉱石や銀を運んだ街道であり、江戸時代を通じて温泉津港から銀鉱山への物資輸送の街道でもあった。

大野市(福井県)Web
写真 美濃街道みのかいどう
東海と北陸とを結ぶ重要な街道で、織田信長の家臣である金森長近が越前大野城を築いた戦国時代以降は、人や物資の往来が盛んに行われ、城下町の発展に寄与してきた。

大村市(長崎県)Web
写真 長崎街道ながさきかいどう
長崎街道は江戸時代に大村藩の城下町であった大村市を南北に通っており、その南部、藩境近くの範囲が往時の街道の形状を良く残し歴史の道100選に選ばれている。

岡崎市(愛知県)Web
写真 東海道とうかいどう
〈藤川宿〉
東海道の藤川宿は平成8年に歴史国道に選定された。松並木の保全や、棒鼻の復元、特産のむらさき麦の復活など、地域住民による宿場文化を活かしたまちづくりが進められている。
〈岡崎宿〉
城下町・宿場町の軍事防衛上、屈折の多い道として整備され、「岡崎の二十七曲り」と呼ばれた。現在も、数多くの社寺等の歴史的文化的資産をつないでおり、中心市街地を通る東海道として今も歩き継がれ、語り継がれている。

小田原市(神奈川県)Web
写真 東海道とうかいどう
江戸を発って、東海道を西へ20里余。品川宿より数えて9番目の小田原宿は、かつて関八州に覇を唱えた後北条氏の城下町として重要な拠点であり、箱根関所を控えた宿場町としては、本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠屋95軒とその数は東海道最大級の規模を誇り、大いに賑わった。
今でも、小田原城跡に代表される史跡・名所のみならず、後北条氏時代に由来をもつ名産品づくりなど、往時のなりわい(生業)が数多く残る。

小浜市(福井県)Web
写真 鯖街道さばかいどう若狭街道わかさかいどう
若狭街道の起点である小浜は、海外や日本海沿岸各地とつながる「海の道」と、都とつながる「陸の道」の結節点として、人や物資、文化が集まる一大港湾都市であった。
地域には廻船問屋の邸宅・庭園や伝統的な町並が残り、日本海交易で栄えた湊町の面影を今に伝えている。
街道沿いには、東大寺二月堂にゆかりのお水送りを行う若狭神宮寺や若狭彦神社などの寺社が数多くあり、奈良や京とのつながりを示す歴史的な景観を形成している。

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