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日本百街道

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金沢市(石川県)Web
写真 北国街道ほっこくかいどう
古代・中世は北陸道、近世に入り北国街道と呼ばれるようになった。近世には、参勤交代のルートとしても使われ、金沢城下を横断する幹線道路として城下の発展に大きく寄与した。現代も交通・経済の要所として金沢市の発展を支えている。一方、藩政期以来の都市構造として守り受け継がれてきた歴史遺産でもあり、大半の区間で拡幅されものの城下の入口の象徴であった上・下両口の松門跡や森本の松並木(県史跡)、一里塚跡等は地区のシンボルとして語り継がれてきており、修景整備や由緒書などで後世に伝えていくべき道路と位置づけている。

上山市(山形県)Web
写真 羽州街道うしゅうかいどう
羽州街道の城下町・宿場町である上山市の街道・宿場町は、国土交通省 歴史国道 羽州街道 楢下宿、文化庁 歴史の道100選 羽州街道-金山峠、国指定文化財 史跡 羽州街道 楢下宿・金山峠等に選定・指定されている。
楢下宿の中央を流れる金山川にはふたつのアーチ式の石橋(眼鏡橋)が残されている。初代県令 三島通庸が建設を指示し、明治13年に「新橋」、明治15年に「覗橋」が完成した。

岐阜市(岐阜県)Web
写真 御鮨街道おすしかいどう
江戸時代、尾張藩が特産の鮎の熟鮨(なれずし)を幕府に献上する際に利用されていた街道である。元来、道の名は尾張街道(あるいは岐阜街道)で、地域の愛称として「御鮨街道」、「鮎鮨街道」などと呼ばれる。御鮨街道は、稲沢市内で美濃路と合流するまで(約26km)を指すのが一般的、岐阜県内では笠松湊跡までとされている。起点は鵜飼が営まれる湊町付近、御鮨所のあった益屋町付近という二説がある。当時の道筋のほとんどが残されており、現在も利用されている。

京都市(京都府)Web
写真 愛宕街道あたごかいどう
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている嵯峨鳥居本の町並みが往時の面影を伝えている。
京都の伝統行事五山の送り火のひとつである鳥居形送り火や化野念仏寺、愛宕念仏寺等など沿道には歴史的な神社・仏閣がある。

郡上市(岐阜県)Web
写真 郡上街道ぐじょうかいどう白川街道しらかわかいどう
長良川、庄川沿いを通る街道で、「郡上街道」「白川街道」とも呼ばれている。
奈良時代の初めの養老年間、白山開山の祖・泰澄が創建した白山長滝寺(長滝白山神社)があり、鎌倉時代から江戸時代にわたり、東海方面からの登拝道として多くの人でにぎわいをみせた。
「太平洋と日本海を桜でつなごう」と旧国鉄バス車掌の故佐藤良二が名金線(名古屋-金沢)沿いに桜を植え続けたことが知られている。

下呂市(岐阜県)Web
写真 東山道とうさんどう飛騨支路ひだしろ位山官道くらいやまかんどう
奈良〜平安時代にかけて、中央(律令政府)と各国府を結んだ官道「東山道」は美濃の方県駅で「飛騨支路」になり、武儀駅(関市)、加茂駅(七宗町)、下留駅(下呂市)、上留駅(下呂市)、石浦駅(高山市)が駅として延喜式(西暦927年制定)に定められている。
下呂市から高山市にまたがる「位山官道」は、宮都の建設のために都へ徴用された多くの飛騨の匠たちが往来した歴史と由緒ある古道で、所々に石畳の道が現存している。

桑折町(福島県)Web
写真 奥州街道おうしゅうかいどう
江戸時代の五街道のひとつであり、町民によって奥州街道のまちづくりが進められ、街道の景観に配慮した案内板の設置や一里塚の復元などが取り組まれた。

郡山市(福島県)Web
写真 奥州街道おうしゅうかいどう
慶長9年(1604)に徳川幕府によって、奥州街道が整備されたときに植えられた松並木の一部が、植え替えられながら沿道に残り当時の面影を伝えている。
数年前までは、見事な景観を形成していた松並木も、現在では、一部を除き、その姿を消しているので、草刈や小さな木の剪定をするなど松並木の保全活動を進めながら地域の活性化を目指すため、平成22年度に地域の団体が設立されている。

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