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日本百街道
[ま・や・ら・わ行]
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松江市
(島根県)
松江美保関往還
(
まつえみほのせきおうかん
)
松江美保関往還は、松江市街から本庄町を経由し、美保関に至る街道である。北前船の主要な風待ち港であった美保関は、全国から多くの船が出入りし、美保神社への参拝客や船乗りたちで非常に賑わった。
往時の雰囲気を現在もよく伝えているのが、美保神社の門前から佛谷寺まで続く「青石畳通り」である。青石畳通りは平成18年度に、歴史や文化を今に伝える中国地方の街道として、「夢街道ルネサンス認定地区」にも認定されている。
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松山市
(愛媛県)
土佐街道
(
とさかいどう
)
江戸時代から土佐街道と呼ばれた主要道で歴史の道100選に選定されており、沿道には常夜灯や茶屋跡・大師堂・遍路墓などが残されて、往時の街道の形状をよく伝えている。
四国八十八箇所霊場を巡る「遍路道」とほぼ同じ道筋であり、四国遍路については、2015年「四国遍路」〜回遊型巡礼路と独自の巡礼文化〜として、文化庁「日本遺産」に選定された。
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三島市
(静岡県)
東海道
(
とうかいどう
)
三島は古くから伊豆の中心地として栄え、三嶋明神の門前町として賑わいをみせた。
東海道に宿駅伝馬制度が定められると、江戸日本橋から数えて11番目の宿場となった。さらに、参勤交代制度が制定され諸大名の往来が増えると三島宿は江戸防衛の役割を担うこととなる。
東西を結ぶ東海道と南北を結ぶ下田街道、甲州道の交差する三島宿は、文化や産業の交流地点ともなっていた。
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みなかみ町
(群馬県)
三国街道
(
みくにかいどう
)
三国街道の宿場町のひとつである須川宿周辺は、旧新治村が「たくみの里」としてむらづくりに取り組み、たくみの家がそば打ちや工芸等の手づくり体験を提供している。須川宿の通りは歴史国道として整備され、家並みや道路沿いを流れる用水は当時の面影を残している。景観への取り組みも積極的に取り組まれており、花壇や用水の維持管理は地域住民の手で行われているほか、景観地区として建物の色彩等景観に配慮した地域づくりが進められている。
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美濃加茂市
(岐阜県)
中山道
(
なかせんどう
)
江戸時代に整備された五街道のひとつで、東海道と並ぶ江戸と京を結ぶ重要幹線であり、五街道の中で最も長い道のりで69の宿場があった。
中山道三大難所のひとつ「太田の渡し」があった太田宿は、江戸日本橋から数えて51番目の宿場。当初は大久保長安が奉行として治め、後に尾張藩が支配した。当時の面影を残す本陣門や脇本陣が残されている。
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美浜町
(福井県)
丹後街道
(
たんごかいどう
)
越前国敦賀津から若狭国を横断して丹後国田辺から宮津へ通じた街道。
美浜町佐柿は、古くから若狭国の交通の要衝として重要視され、山城である国吉城が築かれた。その城下町として造られた佐柿は江戸時代には熊川などとともに宿場町として機能。今も往時の歴史的な町並が残されている。
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美馬市
(徳島県)
撫養街道
(
むやかいどう
)
美馬市脇町は脇城の城下町として成立し、藍の集散地として発展してきた。
吉野川の水運とともに、海運の玄関口だった撫養へと続く撫養街道の役割は非常に大きなものであった。
街道の周辺には当時の白漆喰壁にうだつや格子戸のある藍商人達の家が残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
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三好市
(徳島県)
撫養街道
(
むやかいどう
)
江戸時代に整備された阿波五街道のひとつである。
三好市池田町は葉タバコ産業によって栄えた町であるが、商品等の流通は陸路(伊予街道、撫養街道)と水路によって行われていた。道筋は県道などと重なる部分もあるが、現在も昔の形状をよく残しており生活道の一部として利用されている。
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山口市
(山口県)
萩往還
(
はぎおうかん
)
萩市、山口市、防府市をつなぐ萩往還は、慶長9年(1604)毛利氏の萩城築城後、江戸への参勤交代のための「御成道」として開かれた。
幕末の一時期、藩庁が山口に移されたことにより、多くの志士たちが往来し、薩長同盟などの天下の大事を語り合ったことから、山口は「明治維新の策源地」となった。市内の各所に明治維新ゆかりの史跡が残る。
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梼原町
(高知県)
梼原街道
(
ゆすはらかいどう
)
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脱藩
(
だっぱん
)
の道
)
坂本龍馬は澤村惣之丞とともに、文久2年(1862)3月24日高知を出奔し25日に梼原に到着。その夜、梼原の勤王の志士那須俊平・信吾父子の道案内により予土県境・韮が峠を越えて伊予の国(愛媛)に脱藩した。その他にも吉村虎太郎をはじめ10名の志士が梼原から脱藩している。
日本の道100選や歴史の道100選にも選定されており、この街道を活用して地域の活性化が図られている。
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横浜市
(神奈川県)
東海道
(
とうかいどう
)
中世、鎌倉幕府の交易港として六浦湊(金沢区)や神奈川湊(神奈川区)が発展。六浦荘金沢には北条実時によって金沢文庫と称名寺が建立された。関ヶ原の戦いに向かう徳川家康は軍船に乗船して金沢から出向したとされる。
慶長6年(1601)、徳川幕府により東海道宿駅伝馬の制が定められ、神奈川宿、保土ヶ谷宿がつくられ、慶長9年(1604)には戸塚宿がつくられた。
横浜市には約28㎞にわたって旧東海道が通っており、三つの宿場をはじめさまざまな史跡・名所がある。
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若狭町
(福井県)
鯖街道
(
さばかいどう
)
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若狭街道
(
わかさかいどう
)
)
いくつものルートがある鯖街道のうち、最大の物流量を誇った若狭街道沿いの熊川宿は近世中期以降最大の京への中継地となり、荷を運ぶ馬借や背負で大いに賑わった。
街道沿いには、多くの伝統的建造物や道標、街道松などが点在するほか、六斎念仏など京都伝来の民俗行事が守り伝えられている。
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若桜町
(鳥取県)
若桜街道
(
わかさかいどう
)
若桜街道は、鳥取城の薬研堀の若桜口惣門を出て、八頭郡八頭町を通り、若桜町の中心街、若桜宿に至る江戸時代の街道であり、八東往来や若桜往来とも呼ばれた。
伊勢神宮に参詣する人々が多く往来したとされ、沿道には伊勢道と記した道標が残されている。
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輪島市
(石川県)
奥能登絶景海道
(
おくのとぜっけいかいどう
)
日本海に突き出た能登半島の最先端に位置する珠洲市宝立町から輪島市町野町曽々木に至る約50kmの海岸線を通る道路で、断崖地形からなる勇壮な外浦地区と、これとは対照的に半島の陰に隠れ波穏やかな内浦地区を通っている。
現在は道路改良も進み、付近の垂水の滝や見附島等の観光名所へのアクセスも向上して多くの観光客が訪れて交流促進や地域の活性化に役立っている。
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